号 外 岐阜新聞…2003.1.25 |
||
重複障害の娘は18年間 懸命に生きた 母子の奮戦記つづる |
||
岐阜市の可児さん、 HPで公開 岐阜新聞2003年(平成15年) 1月25日土曜日 社会面…トップ記事より |
||
一昨年二月に肺高血圧症で十八歳の娘を亡くした母親が、娘が存命なら二十歳になるはずだった 誕生日を機に二人の歩みをホームページで公開し始めた。 娘は、母親が妊娠中に患った風疹(ふうしん)が原因で視覚と聴覚、心臓に障害を背負って生まれてきた。 コミュニケーションの幅を広げるために奮闘してきた親子の生き様をつづるとともに、「ほかの人には別れ の苦しみを味わってはしくない」と、風疹の予防につながる情報を載せている。 母親は、岐阜市の自営業可児佳代さん。妊娠初期に風疹にかかったため、長女の妙子さんは難聴と 白内障、心臓病の重複障を抱えて生まれた。 妙子さんは難聴幼児通園施設から岐阜聾学校に進み、多くの人と出会う書びを味わってほしいと願う。 可児さんと二人三脚で言葉を徐々に習得。手紙やファクス、携帯電話のメールなどで交流の輪を広げたが、 聾学校高等部卒業を目前に、急逝した。可児さんが、妙子さんの成長の軌跡をつづり始めたのは昨年九月上旬。 書きためてきた日記や、毎日続けてきた訓練施設の生活記録、教員との連絡ノートを読み返しながら乳幼児期 から小学部時代までを書き上げ、妙子さんが成人するはずだった昨年11月20日の前日に開設したホームページ 「カニサンハウス たえこのへや」に載せた。 【小児科医院のホームページにリンクしたり、無料で風疹の予防接種が受けられることや対象年齢を紹介。 娘を持つ母親への周知を呼び掛けている。】歩みには、可児さんが人や物の名前を伝えるために絵カードや名札を作ったり、 妙子さんがボタンを捌けるようになるまで決して手を貸さずまる一日向き合ったことなど、具体的な取り組みがずらり。 余命を宣告されたときの動揮や手術を終えた娘を見つめる切ない心情も記されている。 新しいことができるようになるたびに自信を付ける妙子さんのほか、可児さんの成長もうかがえる。訓練施設で「生活 全てが言葉ということ、そして日常生活そのものが訓練ということ」を知り、「どんな目も誰の目も気にせずにいられるよ うになった」とたくましさを増していった。 現在は、妙子さんの命日(二月十二日)までに妙子さんの中学部時代を書き上げようと、当時の記録をひもといている。 「妙ちゃんはあんなに頑張ったのに−」。思い出すのが苦しく、筆が進まないこともある。だが、「風疹にさえかかっていな けれは、妙ちゃんを失うことはなかった。予防注射さえしていれば−。自分と向き合うこと、経験を語ることが妙ちゃんが 私にくれた宿題です」と決意は固い。 |
||
HP開設、予防接種訴え2003.2.11 | ||
風しん障害でわが子早世 記者ノート |
一昨年二月に18歳の長女を亡くした、ある母親の自宅を訪ねた。長女の部屋には学習机、車いす、壁の掲示、棚の 小物などが生前のまま置いてあり、家族の悲しみが癒えないことを物語っていた。死因は肺高血圧症。母親が妊娠初期 に風しんにかかったことに由来する心臓病だった。 風しん症候群の白内障と難聴・心臓病の重複障害を持って生まれた長女は、母親と二人三脚で他人とのコミニケーション の幅を広げたが「お父さん、お母さん、私はがんばりました」とのメッセージを残して亡くなった。母親は、長女が成人する はずだった。 昨年の誕生日にホームページを開設、2人の歩みをつづり始めた。命日を前に、風しんのQ&Aも載せた。 「風しんは注射一本で防げる。ほかの人には別れの苦しさを味わって欲しくない」。母親のHPに込める願いを絞り出すよう に語った。 【風しんの予防注射は中学生対象に半強制的に実施されてきたが、1994年の法改正で努力義務となり、 対象も1−7歳半にかわった。(79年四月二日−87年十月一日生まれ)の予防接種率が低く、県内では六割に満たない という(2000年度、県調べ)。この世代は、市町村が指定する医院で九月まで無料で予防接種が受けられる。まだ受け ていない人は、この母親の願いに答えて欲しい。】 岐阜市政担当 小森 直人 (上段の記事を書いてくださった 記者さんです) |
|